自己紹介


水島 正裕

【MASA】

開運メイクアップアーティスト

日本トリソフィーセラピー協会認定

メディカルアロマ心理カウンセラー修了

一般社団法人日本レイキセラピスト協会認定レイキヒーラー 

ボディケアセラピスト

 

1996年 ロサンゼルスでメイクアップの総合的技術を習得し、ロサンゼルスを拠点にフリーランスのメイクアップアーティストとしてムービー、スチール、雑誌のメイク企画担当などで活動する。

 

 

2001に帰国後は、美容サロン、外資化粧品会社のアドバイザーの活動を経て、メイクアップ技術講師として活動する。講師歴は15年になり、延べ5000人の技術と美をサポートする。

 

現在は【開運メイクアップアーティスト】としてメイク講座を主催し、多くの女性の美と開運に導く活動を精力的におこなっている。


 

【ここから先は、今までの人生をオープンに書いていますので、興味のある方のみお読みください。】

 

 

1978年 東京都新宿区早稲田で生まれる。

 

 

年の離れた姉二人の元に生まれた末っ子長男B型・・・・・(典型的な・・・汗)

 

 

生まれながらに愛嬌だけは与えられ、小学校、中学校を通し順風満帆な幼少期を送ってい矢先、、、

 

 

15歳で人生の大きな大きな歯車が狂いはじめる。

 

 

高校入学式当日から先輩に目をつけられる事に、、、

入学式で新入生が上級生の間を通って体育館を整列したまま出ていく時に、『水島ってあいつだろ』という声は今でも覚えているくらい不安に感じました。

 

 

何故目をつけられたのかも分からないまま、入学後すぐにイジメを受けはじめる。

しかし今考えると、きっと当時は先輩達からしたら見た目や態度が生意気な存在に思われたのかもしれません、、、

 

 

 

最初は気にしないふりをしていても、日に日に行為もエスカレートしていき、本来なら自分の生まれ持った短所ともいえる忍耐力のなさが、この時ばかりは吉と出たのか。

 

 

 

すぐに両親にその事を伝え、入学後わずか3週間で退学。

父親がその時に今すぐ辞めろと言ってくれたことで、あの環境から逃げることが出来ましたが、、、

 

 

しかし退学してからが想像していたよりも大変な時間となる、、、

 

 

高校入学後のたった数週間の出来事が、当時15歳の自分の心にはあまりに受け止めるには大きすぎる出来事だったのか、結果引きこもりに、、、

 

 

 

部屋のカーテンも開けることができず、中学時代からの友人の連絡も無視しながら、半年ほどの月日が流れ、、、

心配してくれている中学校の友人達からの度重なる電話に母親は毎回、『今はちょっと電話に出れないの』と言いながら対応してくれていました、、、

 

 

そんな時に聴いていたマイケルジャクソンとマドンナ、当時は世界の2大スーパースターと呼ばれていたこの2人の存在にとてつもなく強く刺激され、この状況から抜け出すには世界に出るしかないという思いから、15歳の秋、単身ニュージーランドに渡る。

 

 

 

がっしかし、、、

 

 

ニュージーランドで入学した高校も、わずかたったの2時間で退学になってしまう。

退学になった原因は、校長先生に暴言を吐いてしまったことです。当時の僕はマイケルジャクソンやマドンナと自分も同じレベルの存在なんだと思い込むことが唯一の生きる手段だったので、そんな彼らがインタビューや会見でとっていた態度と同じような振る舞いをしていました。

激怒した校長先生は、日本にいる僕の両親に怒りの手紙を送るなど当時は本当に色々とありました。

 

 

結果わずか2時間でNZの高校を退学することになったが、その後もお世話をしてくれたホストファミリーに心底救われ少しづつ心のバランスを取り戻す。

入学後わずが2時間という時間で、校長先生の逆鱗に触れてしまい追い出されるように高校を後にし、異国の地で一人でこの先どうすればいいのか分からなくなり、大泣きしながらホームステイの家に帰りました。

すると既に高校から退学になった旨をホームステイ先に連絡がいっていたらしく、ホストファミリーが家の外で僕を待っていてくれて何も言わずにハグしてくれました。

※ちなみにこの時のホストマザーとは、当時から30年たった今も毎年クリスマスカードが届きます。泣

 

 

 

その後はホストマザーに協力してもらい語学学校に編入し1年間英語を学ぶ。

今考えると15歳のこの当時は英語はほとんど話すことが出来なかったのに、なんであの語学力で校長先生をあそこまで激怒させたのか、、、でも今でも明確に脳裏に覚えているのは、校長先生が激怒する直前に最後に僕が言ったのは、『Anyway I wanna go back to Japan』

 

 

そんなお世話になったホストマザーが美容業だったことをきっかけに、美容に興味を抱く。

 

 

 

そして17歳で日本に帰国後、たまたま立ち寄った新宿の紀伊国屋書店で1冊の写真集と出会う・・・

 

 

 

世界ナンバー1のメイクアップアーティストと称され、世界中のセレブリティーやスーパーモデル、ハリウッド女優のメイクを手掛けていた、故ケヴィン・オークイン氏の写真集。

この写真集をきっかけに、人の顔って化粧品によってこんなにも変幻自在に変わるんだと衝撃をうけました。

 

 

 

そしてこの一冊をきっかけに、メイクの道に進むことを決意!

 

 

 

せっかく学ぶなら憧れのアメリカだということで、18歳で単身ロサンゼルスに渡米し、Elegance international professional of makeupにて、メイクアップの知識と技術を習得する。

 

余談ですが、メイクスクール在学中に、『ケヴィンがビバリーヒルズのイベントに来る!』という情報をキャッチし、一生懸命に自分の思いを英語で手紙を書き、ケヴィンの写真集をもって勇気をだして会いにいきました!!!

 

そして・・・

1年前に紀伊國屋書店で見つけた写真集からメイクを学ぶきっかけとなったケヴィンに初対面しました!!!!!!!(左が当時18歳の僕/右が故ケヴィンオークイン)

 

奇跡はそれだけではなく、僕が渡した手紙に感動してくださり、手紙の返事まで自宅に届きました・・・・・・泣

また、当時マドンナの専属メイクアップアーティストの方と出逢い、1日だけ新人女優さんのメイクをさせてもらったり、たまたま旅行で行ったNYでは世界的に有名な化粧品ブランドを立ち上げた超大御所メイクアップアーティストと出逢い、その方がLAで開催されるアカデミー賞で某ハリウッド女優のメイク担当で来るとのことで、何故か学生の僕が当時乗っていたオンボロ車でLAの会場から車で送迎し、その後にパスタをご馳走してもらったり・・・笑

当時まだ18歳の学生の僕にとっては、今考えても夢だったのではと思うくらい引き寄せがありました!

 

 

そんな最高にエキサイティングな経験をメイクスクール在学中に体験し、卒業後はロサンゼルスでフリーランスのメイクアップアーティストとして活動。

 

 

2001年に帰国後は、サロンワークや外資化粧品会社などの勤務を経て、某美容学校で10年間講師を務める。 

 

 

そんな中、2015年にさまざまな出来事が自身に降りかかる。

 

 

長年自分を押し殺して我慢してきたものや、自分自身の悪い面が一気に明るみに出てしまい、その時期にとてつもなく大きなストレスに支配されてしまう。

この時期は、夢の中で何度も大きな鏡が『バリーーン』という大きな音を立てながら粉々に割れる映像が出てきたり、相当心が蝕われていました・・・

 

 

その時の経験から、ストレスが心と体にどれだけ大きなダメージを与え、自分を苦しめることになるかを身をもって体感する。

 

 

それをきっかけに心と体、また精神性などに強い興味を抱いたことで新たな道に進むことを決断する。

 

 

それまで勤めた会社を退職し、米オレゴン州ポートランドを拠点にスピリチュアルヒーラーとして活動する姉、ヒロコ・ヒバードより、エッセンシャルオイルを用いたヒーリングを学びながら、某整体院でボディケアの知識と技術を習得しはじめる。

 

また、一般社団法人日本レイキセラピスト協会認定レイキーヒーラーを取得し、日本トリソフィーセラピー協会認定メディカルアロマ心理カウンセラー講座を受講。

 

 

 

もともと直感力が鋭く、お客様がもっとも輝く顔が頭の中で青写真として見える特性があった事から、スピリチュアル系のイベントにて開運メイクアドバイスで出店しはじめる。

 

 

 

お客様お一人お一人が求めていることを大切に、本来もつ魅力をそのまま活かしながらメイクアップによって外面だけではなく内側から輝かせることをモットーに、現在はさまざまな場所で出張型の開運メイクレッスンを開催するなど精力的に活動を広げている。